2010年03月30日

NESセラピーで家族団欒

25日は長男のりっクスの11回目のバースデイだった晴れ

当日は家族でお祝いし、次の日は、毎年恒例、実家でもお祝いをしてくれた。

ひとしきり、母が腕をふるってくれたお料理を堪能した後は、もうすぐ100歳になる祖母の初スキャン!

裸眼で新聞が読めるほど、元気でいてくれる祖母が、最近足の痛みがあったりで、すっかり元気がなくなっている。

そんな状況を心配した母からの依頼だった。

新しいバージョンのNESはさらにすごい!!

NLP(神経言語プログラミング)の技術を導入することで感情的なコンフリクトやトラウマと

脳の部位とのリンクを表現可能になっている。



祖母の後は、ぜひぜひやってみたかった父。

見えない世界には全く興味がない、昔堅気で頑固な父。

教員生活を引退した後も、相変わらずの喫煙と、毎晩の晩酌に、かなり身体が悲鳴をあげているはずなのに

何があっても病院には行かない父。そんな父の身体を家族皆が心配している。

久しぶりに孫たちとゆっくりと戯れて、すっかり上機嫌に酔い、うとうととした所を、すかさずラビットスキャン!

身体の状態を表すデータを夫が説明しながら、皆が『うんうん、そうそう』と納得し

何より、感情面のデータを見て、私たちは閉口してしまった。


そこには、若いころからの変わらぬ亭主関白ぶりで、家族や私たちに接している父からは

予想がつかなかった、寂しさ・自信の無さ・等が読み取れたのだ。


父にとって教師という職業は天職だったのだろう。

子供たちと本気で学び、遊び、笑って、泣いて。

夏休みには何十人もの生徒が宿泊学習の様に泊りに来たことも何度もあった。

管理職につかなければならない年齢に達した時には、子供たちと毎日ふれあうことができなくなる

寂しさに、ビールを片手に涙していたことを印象的に憶えている。


その"生きがい"から離れての隠居生活。

家族の為に無農薬の野菜を作り、時には長年の趣味の釣りにでかけ、

そんな穏やかな日々の中にいる父の心の空洞に

私たち、家族は気付くことができないでいた。

思いやりを持つことを忘れていたのだ。


しばらくして、孫達に起こされた父は

またいつものように、孫を相手に、私たち娘夫婦を相手に

気持ち良さそうに、自分の昔話を語っていた。

いつもなら、少々煙たく感じてしまう、そんな昔話を

私たち家族は心から聞いて、感動して、笑った。



いつも一緒にいる家族だから、語りあわなくても分かりあえる事は多い。

でも家族だからこその甘えや馴れ合いの中で、見過ごしてしまっている大切なこともある。

パソコンの画面に、グラフィカルに表示されたNESのデータは

私たち家族に、大切な人たちへの"感謝と思いやり”を思い出させてくれた。


帰りの車の中、すっかり寝入ってしまった子供たちを抱えながら

私は静かに、少しだけ泣いた。



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